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震災を風化させない”希望の子”

22年前の1月17日の午前5時代後半に、阪神淡路大震災が起こった。ラジオでは、震災に関する専門家とアナウンサーのフリートークが行われていた。

アナウンサー(A):どうして東日本の復興は今もおぼつかないのでしょうね。

阪神淡路大震災の激論のあと、すでに話の展開は東日本大震災にまで拡大していた。

専門家(S):東京都の小池知事は都民ファーストなるものを掲げていますよね、東日本大震災では当時、被災者ファーストの考え方がなかったからじゃないでしょうか。

専門家は市役所に長年勤めており、阪神大震災が風化されつつあるとき、自分の中に震災当時の怒りなるものを呼び起こすため、何度も東日本に足を運びその時の思いをよみがえらせたそうだ。被災者への給付金を増やす事も考えられていたようだが、それも没になった話なども展開されていた。その時に、全く震災とは関係ない話で、この2人のトークすごいと思った節がある。

S:復興庁は阪神淡路大震災のあと出来たんですがね、

A:復興庁は阪神淡路大震災のあと、ありましたっけ?

S:ありません、ありません、

パワーみなぎるジッサンとアナウンサーのトークは何事もなかったように、スラスラと流れていった。

この時のアナウンサーの絶妙な質問、ジッサンの切り替えし、さらに流したアナウンサーの二人のノリにすごく感動したのだ。ここでもし、アナウンサーが「え?」だったり、笑ったりなどすれば、ジッサンのミスが露骨になっただろう。だが、これを面接などで言えば、きっと悪い印象を与えるというところだろうか。それとも、面白い切返しだなと逆に印象深さを与えるのだろうか。

阪神淡路大震災から22年が経過し、震災のことは風化されがちだ。一方で、時が経つにつれて悩みが増加している若者もいるらしい。ちょうど22年前の1月17日に生まれた”希望の子”と言われる子たちだ。ニュースのシリーズでピックアップされていた男性は、小さなころから希望の子としてインタビューや話題にひっぱりだこだったらしい。彼の中では、今年の震災日を迎えるにあたり、震災当日に生まれたというだけで、自分は震災のことについて、何一つ記憶がないので重荷に感じているという内容だった。

個人の意見としては、とにかく震災の日に命をさずかったのだから、生まれたこと自体に価値がある人として、阪神大震災の象徴として考えればいいのではと思ってしまう。だが、それ以上の何かをしたい場合、震災当時の記憶が何もないのは、きっと辛いものがあるのだろう。

震災を体験した私たちでさえ、風化しつつあるあの時の思い。震災当日に生まれた希望の子はじめ、それ以降に生まれた子らにとれば、戦争を知らない私達に重なるものがある。

戦争を知らない私だが、戦争は恐ろしいものだと知っている。それは”はだしのゲン”、”黒い雨”の漫画本であったり、映画”パパママバイバイ”、”ほたるの墓”であったり、”広島のピカ”、”むらさき色のピカ”の絵本だったりする。

最近、はだしのゲンについて、学校図書館に導入するのは、子供達に露骨に恐怖感を植え付けてしまわないか等の問題もあったりした。

はだしのゲンで思い出すのは、はだしのゲンの絵本、つまりカラー版が図書館に置かれたことだ。かなり大き目な絵本だった。当時まだ小学校低学年で、漫画が図書館に並んだという噂だけでみんな図書館へドヤドヤと駆け出し、どれどれとワクワク感一杯で開けたものの、教室へ帰ってから、数日間は夜眠れないくらいだった。それだけ、その時の恐怖感は言葉に出来ないものがあった。絵本では漫画の第一巻の中のお話が短縮されていた。

さらに、担任の先生が、放送室のガラス棚の鍵をわざわざ開け、今では普通に見ているアメリカ視点の広島の原爆についてのリアルな洋画をみたりもした。なぜ、字幕のない洋画を、低学年にわざわざ公開したのか今でも不思議だが、きっと先生は映像で戦争の恐ろしさを伝えたかったのだと思う。その時、一番後ろに座っていた男子生徒が、教室の後ろのドアから、大泣きしながら逃げ出したのを覚えている。確かに彼は、甘えん坊な感じが普段からあった。こんなに怖い映画をみせられれば、彼が逃げたくなるのもわかったと同時に、授業をボイコットできるんだということをこの時初めて知った。彼が泣きだして、後ろのドアから逃げる様子は、どこか甘美にさえうつった。だが、今回の場合はボイコットというほど、彼の意思は内容に反したものではなく、ボイコットして当然の授業内容だったと思う。一番前に座り、後ろの子から見えないと言われながら、小さく座っていた私だったが、彼を追いかけた先生のあとに、ついていきたくなる衝動にかられた。だが、一番前の席だったし、後ろの席だったとしてもボイコットできる勇気なんてあるはずがなかった。放送室は真夏なのに、ひんやりしていた。

だが、それにしても低学年にリアルな原爆の映像を見せる当時の戦争教育は行き過ぎな面もあったかも知れない。教頭先生が漫画家を目指されていたこともあり、”欲しがりません勝つまでは”を漫画冊子にして、配布してくれたこともあった。結局、はだしのゲンの教育問題は、漫画についてそこまで神経質にならなくてもいいということで落ち着いたそうだが個人的には、低学年にはどうかなと思うところだ。

2016年には”この世界の片隅に”が日本中を感動させた。これからの日本人に戦争を伝えるには、コレだと言わんばかりの大ヒット作となり、美しい映像と今の若者に通じるリアルな感情が成立した映画だと言われている。この映画のいいところは、恐怖から戦争を捉えるのではなく、愛情が戦争によって突然奪われるという心理面での辛さをメインに描いていることだ。

あえて希望を言えば、阪神大震災、東日本大震災でも応用してもらいたい。この世界の片隅に~バージョン2~阪神大震災編、バージョン3に東日本大震災編もつくるのもアリだろう。本当は、いくら素晴らしい映画でも、戦争映画や震災映画の本数が増えるのは望まないが。もちろん、希望の子らが、これからも震災の事を語り続けてくれることも、風化させないための重要アイテムにちがいない。


 
 
 

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フリーランスライター notenote ブログ

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