ドラクエ伝説とマーケティング
- Shiho Hashitsume

- 2018年10月19日
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ドラクエが販売されたのは、1986,1987年で、これらの年は長蛇の列が出来るほどの大盛況だった。ゲーム音楽になかった、すぎやまこういちさんのクラッシック音楽を取り入れた趣向、当時、少年ジャンプの漫画家であった鳥山明さんを取り込み、少年ジャンプ編集部つまり、少年ジャンプが推奨するゲームとして売り出した。
鳥山明さんが作るキャラクターデザインは唯一無二のもので、他の漫画家さんと違う点が一つあるそうだ。それは、どのキャラクターもユーザーと目が合うようにデザインされているところなのだそうだ。シナリオ、ゲームデザインを手掛けられた堀井雄二さんは、時代背景、運もあったこともあり、ドラクエは自分にとっての天職だと言われている。一方で、時勢にかかわらず、自分の好きなことを続けることの大切さにも言及されていた。
音楽を担当された、作曲家のすぎやまこういちさんは、ドラクエ1作目が発売されて以来30年間作曲を担当されており、85歳でありながらバイタリティーのある明るい方だ。ザ・タイガースや帰って来たウルトラマンの作曲家でもあった。世界最高齢でゲーム音楽を担当されたということで、ギネスにも認定されている。最初は、ゲーム音楽を作ったことがないということで、懸念するメンバーもいたそうだが、超有名で偉大なるすぎやまさんが大のゲーム好きだということで、曲づくりをお願いしたそうだ。ドラゴンクエストのあの有名なフレーズは、たった5分で作られたそうだ。
1986年には150万本以上、1987年には240万本以上の売り上げを誇ったドラクエ。当時の長蛇の列の映像を見てみると、主に大学生らしき人、時々高校生らしき人はいるものの、ほとんどが社会人だった。1986年で18歳であった人が生まれたのは、1968年。つまり、団塊の世代の子供達(1974年~1975年生まれ)の人たちは、ちょうどこの頃はまだ、小学校6年生または中学校1年生頃だった。もし、ドラクエⅠが団塊の世代の子供達が18歳になる頃つまり、1992年に発売されていれば、より多くの売上が見込めたのではないだろうか。だが、時代の流れというものもある。1992年はバルセロナ5輪で岩崎恭子さんが金メダルを取り、宇宙飛行士の毛利衛さんが宇宙へ出発し、チェッカーズが解散し、スーパーマリオカートが発売された年であった。
1986年の6年後の1992年に発売し、同じくらいヒットしていれば売上げはより多く見込めたものの、時代の流れにそぐわない危惧も考慮すれば、やはり1986年、1987年に発売されてよかったというところかも知れない。だが、いつの時代も団塊の世代そして、その次の世代を中心としたマーケットの中で、ドラクエ熱があったのは、スーパーコンピューターの中心世代である小学生から高校生までであった団塊の世代の次世代ではなかったという点においては、やはり少し勿体ないと思われる。





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