WEBライターの必要性
- Shiho Hashitsume

- 2018年10月18日
- 読了時間: 2分
某大手企業のキュレーションサイトの閉鎖でにぎわいをみせているネット。そもそも、専門家ではないライターが書いたということも問題になっている節も見られる。
専門家から生まれた記事が必ずしもいいとは限らないはずだ。専門家の記事を読みたければ、専門家が出版した本を買えばいい。専門家しか知らない専門的視点から、専門家に向けた内容になっているはずだ。
だが、キュレーションサイトを閲覧するのは、専門家ではない人達だ。専門家=教えるのが上手いとはならない。今の時代、専門家であっても公的機関の情報を毎年得るのはマストであり、昔専門家になったからといって、今の時代も専門家であり続けていない専門家もいるはずだ。
一方、ライターでも公的機関の資料を専門家的視点と、読者視点で読みながら、読者にとって必要な情報だけを記事にできるライターがいれば、それは、今専門家ではない状況の専門家と言う名ばかり専門家よりも、新鮮でお役立ち記事が提供できるはずだ。
例えば、医療でいえばこんなことがある。とある大学病院での出来事。
A:ピルを飲むと、めまいがしてしまうのですが、どうしてなんでしょうか。ピルを飲まないと月経痛がつらいのに、飲むとコーヒーカップに乗った時のように目がまわるんです。
B(院長):おかしいですね、医学的見地からみれば、そんなことはありえないんです。
A:え?
B:そんなことはありえないんです。今まで資料にはそんなこと書かれていませんから。
専門家とは、検査にひっかからなければ、いくら症状を訴えても、取り扱わないのだ。それをそのままライティングにあてはめてみると、読者の苦悩や知りたい願望を無視した、専門家的知見でしが、記事を発展させることができないことになってしまう。そんな記事を読んでも何も面白くないはずだ。
ですが、ライターならここで、心の問題も、医学的観点から解決しえない状況に対して関連しているのではないかという新しい問題発見ができ、それを読者に提示も出来る展開を選べるメリットがある。
専門的知見も取り入れながら、読者のニーズにあった記事を提供できるライター-がこれからは求められるべきだ。つまり、指標となるのは公的機関の資料であり、専門家の意見ではないということだ。
もちろん、一番いいのは専門家が記事だけのために、一日中読者視点で書き続けてくれることかもしれない。だが、専門家は専門家という別の仕事を持っているので、記事という視点にたったとき、ライターが必要だと言われるようなライターになれるよう、ライターはいろいろな面で精進していくしかない。





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